なんであんなことをしてしまったんだろう
自分が許せない
こんな自分じゃだめだ
そう思っている人にV.E.フランクルの言葉を贈ります。
(『それでも人生にイエスと言う』p.53より)
まず、自分自身の不完全さと至らなさに絶望するのは、そもそも正当なのかを問題にしたいと思います。なんといっても、自分の存在を自分のあるべき姿に照らし合わせる人、したがって自分自身に理想というものさしを当てる人が、まったくくだらない人間であるのかを問題にしなければなりません。
自分自身に絶望することができるという、まさにその事実から、その人がなにかしら正しいことがわかり、絶望するほどのこともないことがわかるのではないでしょうか。
理想に目覚めることすらもないほどくだらない人間だったとすれば、彼はそもそも自分自身を裁判にかけることができたでしょうか。
自分自身を裁くことができるということは、その人に裁判官の尊厳と威厳がそなわっている証拠ではないでしょうか。
理想から離れていることに気づいたときにはもう、その理想にまったく背いてしまっているわけではないことも裏付けられるのでないでしょうか。